横溝正史シソーラス(パイロット版) - 温故知新編 -
| 1-14 | ○横溝少年、『シックス・ナポレオン』を読む |
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ぼくが一番最初読んだのは『シックス・ナポレオン』 だったな。あれはナポレオンの像を乃木大将の像に変 えていた。乃木大将が割腹したのは明治四十五年でし ょう、ぼくは大正四年に中学に入ってますよ。それで、 いまの文庫本みたいな赤本だったですよ、乃木大将の 像が順ぐりにこわされていくんだ、ぼくはすぐに、こ れは翻案だなと思ったけどね。それが一番最初だった。 これは、小林信彦・編『横溝正史読本』（角川書店／ 昭和五十一年九月）の、「第四部 クリスティーの死と英 米の作家たち」で、小林信彦から「一番はじめホームズ をお読みになったのは原書ですか」と問われた、横溝正 史の返答である。「シックス・ナポレオン」、つまり 「六つのナポレオン」自体は、短編集『シャーロック・ ホームズの帰還』に収録されている。 横溝少年が読んだ翻案版「六つのナポレオン」の詳細 は、長らく不明だったが、北原尚彦『シャーロック・ホ ームズ語辞典』（誠文堂新光社／二〇一九年十二月）の 「横溝正史」の項で、次のような一文が記されている。 横溝が少年時代に読んだ「六つのナポレオン像」の ナポレオン像を乃木将軍像に置き換えた翻案は長らく 謎とされてきたが、『肖像の秘密』（高等探偵協会） であることが判明した。 北原尚彦が紹介する『肖像の秘密』は、高等探偵協会 編の「探偵叢書第２篇」として、中興館より一九一五 （大正四）年に刊行された。国立国会図書館デジタルコ レクションで全文公開されており、横溝少年が読んだで あろう豆本と同じ体裁で読むことができる。 「肖像の秘密」は、北原尚彦・編『シャーロック・ホ ームズの古典事件帖』（論創社／二〇一八年一月）でも 読むことができ、同書巻末の編者解説に、作品発見の詳 しい経緯が記されており、一読に値する。 少年期の横溝正史が読み、彼が探偵小説作家となる 方向へ影響を与えたシャーロック・ホームズの翻案。 横溝正史研究家もシャーロッキアンも長年その本を探 し求めてきたのだが、これが「なかなか突き止められ ない。そして21世紀になり、日本シャーロック・ホー ムズ・クラブの中原英一氏によって遂に発見されたの が、この「肖像の秘密」だったのである。 肝心の翻訳者については明確ではなく、北原尚彦も 「いずれにせよ、横溝正史が若かりし日に読んだ幻のシ ャーロック・ホームズを訳したのが、西條八十だったか もしれない。実に、ロマンあふれる話である」と書いて いる。西條八十から、森村誠一「人間の証明」を連想す る世代ゆえ、そうだったらと思う。しかし、同解説では、 横溝正史が読んだ「六つのナポレオン」は「肖像の秘密」 ではない可能性があるとも指摘されている。 しかし、謎は残る。横溝正史は、エッセイ「続槿槿 先生夢物語」で、昔、〈立川文庫〉のような探偵文庫 で翻案された「六つのナポレオン」を読んだが、原作 にはない別な筋が絡ませてあった、と語っているのだ。 そのストーリーは「ある青年が有名な実業家の別荘の 奥座敷で、主人である実業家が殺されているのを発見 する。青年はその死体をもっとよく見ようとして側へ 近寄っていくと、ふいに何者かに後頭部を殴られて気 絶する。数分後に彼が意識を恢復すると、実業家の首 がなくなっているというふうな、まことにドギツイ筋 であった」という。「肖像の秘密」には、そのような 筋は混ぜ込まれていない。横溝正史が何か他の本と勘 違いしたのか。それとも横溝正史が読んだ「六つのナ ポレオン」は「肖像の秘密」ではなく、また違うもの なのか。……更なる検証が必要である。 翻案版「六つのナポレオン」の「肖像の秘密」を、横 溝少年がどのような思いで読んだのかを想像しながら、 『シャーロック・ホームズの古典事件帖』収録版もしく は、国立国会図書館デジタルコレクション版を、読むの もまた一興かと思う次第。 なお、国立国会図書館デジタルコレクション版は大正 時代の本なので、旧仮名づかいや旧漢字で記されている。 付随するテーマとして、「横溝正史、「シックス・ナ ポレオン」を書く」という点について、書き留めておく。 横溝正史は、ブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュ ラ」を換骨奪胎して、伝奇時代小説「髑髏検校」を書い ているが、実は「六つのナポレオン」も同様に、「人形 佐七捕物帳」の一編「五つめの鍾馗」として翻案してい るとの解釈がある。『完本人形佐七捕物帳 九』（春陽堂 書店／二〇二一年五月）の「解説」で、末國善己は「五 つめの鍾馗」を次のように紹介している。 五つの鍾馗像の中から珠の入った像を探す「五つめ の鍾馗」は、コナン・ドイル〈シャーロック・ホーム ズ〉シリーズの「六つのナポレオン」（１９０４年） の本歌取りである。 横溝は「途切れ途切れの記」の「三津木春影のこ と」の中で「私」は「豆本で、シャーロック・ホーム ズの『六つのナポレオン像』を読んだことがある。私 の読んだその豆本は、もちろん翻案だから、登場人物 は全部日本人の名前になっており、したがってナポレ オンの像も、乃木大将の像になっていた」と書いてい る。横溝が読んだのは高等探偵協会編『肖像の秘密』 （中興館、１９１５年１月）と思われ、少年時代に印 象に残った作品をアレンジしたのが本作なのである。 人形作りの名人・藤兵衛が作った鍾馗像は四つなの に「五つめ」というダイイングメッセージを残したこ とや、藤兵衛に鍾馗像作りを依頼した武家のお家の事 情などを伏線にしているが、それ以上に、佐七とお粂 の夫婦喧嘩というシリーズのお約束を使い、最も重要 な手掛かりを読者から見えにくくした構成の巧みさに 圧倒されるだろう。 横溝正史は、少年時代に読んだ翻案版「六つのナポレ オン」のテーマを、約四十年間温め構想を練り、人形佐 七捕物帳の一編「五つめの鍾馗」を本歌取りとして執筆 したのだろうか。筆者には真偽不詳（そうとは考えられ なかったの）だが、シャーロック・ホームズ版「六つの ナポレオン」、翻案版「肖像の秘密」と合わせて、横溝 正史の「五つめの鍾馗」を読み比べてみてはいかがだろ う。どちらも現行本があるのだから。 |
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